「わたしのこれまで①」〜量子力学との出会い〜
- fullbloom8739
- 5月15日
- 読了時間: 7分
更新日:6月17日
🟠 子どもの頃の夢は「学校の先生」
物心ついた頃から、
わたしの夢は「学校の先生」になることでした。
学校が楽しかったからなのか、
それとも単純に“それしか知らなかった”からなのか(笑)
とにかく「こうなる!」と決めたら一直線のわたし。
その夢は叶い、教員採用試験に合格。
保健体育高校教師として、教師人生がスタートしました。
⚫︎突然のフェンシング部顧問⚫︎
初めての赴任校で任されたのは……
なんとフェンシング部の顧問!
フェンシングなんてやったこともなければ、ルールも知らない💦
試合を見ても、どちらに点が入ったのかもわからない💦
そんな状態のまま、
インターハイの監督として大会に出場することに…。
そんなスタートでした。
当然、わたしの技術指導は
専門の指導者にはかないません。
それでも生徒はインターハイ出場を目指して、
毎日真剣に練習に取り組んでいました。
その姿に、わたしも全力で応えたいと思うのですが──。
やはりインターハイレベルともなると、
フェンシング未経験のわたしの指導には限界があります。
「もし専門の先生のもとで指導を受けていたら、
生徒たちはもっと上達できたのに…」と、
一生懸命コートの上で試合をする生徒を見ながら、
悔しさと申し訳なさで、試合中ベンチでこっそり涙したこともあります。

⚫︎たどりついたのは「メンタル面」⚫︎
どんなに高い技術を持っていても、
メンタル次第でパフォーマンスは大きく左右してしまう。
『試合』という字は「試し合う」と書きます。
自分の練習の成果を「試す」どころか、
持っている力すら発揮できない──。
それが生徒たちの大きな課題でした。
プレッシャーに負けてしまう
周囲の雰囲気にのまれてしまう
自分に負けてしまう
自己否定してしまう
楽しくて始めたはずなのに、プレーを楽しめていない。
不安・恐怖・自信のなさ・逃げたい気持ち・緊張…
そして自己否定。
本当は素晴らしい可能性を持っているはずなのに、
まったく反対の方向に向かってしまう──。
そんな生徒たちの姿を、何度も目にしました。
本来持っている力を発揮してほしい。
結果ではなく成長のプロセスを楽しんでほしい。
「わたしにできることは何か?」
技術の指導には限界がある。
だからこそ、
わたしが注目したのが“メンタル面=意識”でした。
「本当の自分を信じて、持っている力を出し切ってほしい!」
その思いが、わたしを突き動かしました。
技術的に補えない部分を、メンタルで支えたい。
わたし自身が“メンタルトレーナー”のような存在になれたら──
そう考えるようになったのです。
実はその頃、
わたしもアルティメットの現役プレーヤーとして、
日本一、そして世界を目指していました。
その中で、メンタルの重要性は身をもって実感していたことも重なり、
「“メンタルトレーナーのような教員”になりたい!」
「メンタルのプロフェッショナルになろう!」
そう心に決め、自分自身が“学ぶ側”となり、
新たな道を歩みはじめました。
確かにそこにある、生徒の可能性。
そして、自分自身の可能性。
それを引き出していくために──。
わたしの学びは、ここから本格的に始まったのです。
🟠 量子力学との出会い
わたしはメンタルトレーニングの教育会社で
受講生として学びを始めました。
そこで出会ったのが、量子力学・潜在意識・脳科学の世界。
「なんだこれは……!」
初めて知ったときの衝撃は、今でも忘れられません。
学びを深めるごとに、
人間の持つ無限の可能性と、
意識の力のすごさに魅了されていきました。

⚫︎教育現場での実践の日々⚫︎
学んだことは、すぐに現場で実践。
担任や部活動の顧問、そしてプレーヤーとして、
日々の指導や実践に取り入れていきました。
技術以上にメンタルへのアプローチを強化。
すると、生徒たちの様子が少しずつ、
でも確実に変わっていったのです。
その手応えに、私は確信を持ちました。
同時に技術面もどんどん変化していき、
全国レベルの選手とも、
白熱した試合を展開するようになっていきました。
技術面だけでなく、
内面的な成長も著しくなっていきました。
フェンシングに携わったこの6年間は、
わたしにとっても貴重な学びと成長の機会となりました。
⚫︎続・未経験チャレンジ!次は陸上部顧問⚫︎
県立高校には転勤がつきもので
転勤先では陸上部顧問に。
陸上だけはどうしても好きになれず避けてきたので、
顧問の話もお断りしてみましたが…
ダメでした。(笑)
短距離・長距離・幅跳び・槍投げ・円盤投げ・砲丸投げ・リレー…。
もう、種目多すぎです!(笑)
さまざまな種目が同時にグランドで練習…。
技術指導は? 当然、できません!
だから…一切しませんでした(笑)
練習メニューも、生徒たちに任せました。
今までの経験から、わたしが取り組んだのは
“メンタル一本!”
今度は、週に1回グランドの練習を教室に変え、
しっかりと時間をとって
「量子力学・潜在意識・脳科学」などの座学を行なったんです。
すると……
生徒たちが、みるみる変わっていったのです。
⚫︎生徒の変化と、自分自身の変化⚫︎
生徒たちは「本当の自分」を知り、
その自分に戻っていくことで、
言葉も、表情も、学校生活そのものも
変化していきました。
• 記録が向上し、各自の専門種目で自己ベストを更新
• 陸上競技が「楽しい」と感じられるようになった
• 学校生活そのものが楽しくなり、前向きな気持ちで過ごせるようになった。
• 家族との関係も良くなり、家庭でも笑顔が増えた。
• 感謝の気持ちを持てるようになった
技術面だけでなく、心・日常・人間関係まで、
本当にさまざまな面で
より良い方向へと変化していったのです。
※このあたりの詳しいエピソードは、
また講座や別のブログでじっくりご紹介しますね。
🟠 心が動いた日──まさかの転職へ
そんなある日。
学びに通っていいた教育会社から
“通信制高校を立ち上げる”
という報告をありました。
しかも、その通信制高校の授業の内容は、
わたしが日々、受講生として学んでいた“目に見えない量子の世界”!
生徒の変化や輝きを目の当たりにしていたわたしは、
その報告を聞いた時、涙が止まりませんでした。
ただ、このときはまだ教員を辞めるつもりはありませんでした。
教員としてとてもやりがいありましたから。
でも、ある日の体育の授業。
バスケットボールの授業で、
ドリブルシュートのスキルテストをしていた時。
「ドリブル … B、
ステップ … C、
シュート … B。
シュート … 入ったから○…。」
なんて記録しながら、
一人ひとり実技テストをしていました。
テスト中、ふと心に奥から湧いてきた言葉──。
「で、なんなの?」
本当に大事なことって、これじゃない!
保健体育を教えてる場合じゃない!
通信制高校ができることを知った時に、
溢れ出して止まらなかったあの涙…。
その時の自分に軸を合わせることに。
わたしのやりたいことが見えました。
そして、心が決まりました。
この教育(量子力学・意識・本質の学び)を、
もっと広く届けたい!
文科省に届けたい!
そのために学校をつくる!事例をつくる!
そう決めました。
⚫︎教員を辞め、新たな道へ⚫︎
公務員という安定した職を手放すこと。
まだ形のない通信制高校に飛び込むこと。
家族や同僚からの反対もありましたが…。
心はすでに決まっていて、揺るぎませんでした。
数日後、校長室の扉をノック。
突然の訪問に校長先生はびっくり。
「なんだ!結婚か?」と──(笑)
「ではないんです、辞めます。」
と伝えると、さらに驚かれました(笑)
⚫︎生徒たちとの別れ、そして応援⚫︎
陸上部員との別れは、本当に辛かったです。
でも、自分のこれからの想いを正直に伝えたとき──
学びによって成長した彼らは、
あたたかい言葉をくれました。
• 「そんな学校に行ける人、うらやましい」
• 「その学校、行きたい!」
• 「先生、次の場所でも頑張ってください!」
今でもその言葉は、わたしの支えになっています。
あんなに苦労と努力を重ねて合格した教員採用試験。
それを辞めるなんて──
今振り返っても、よくそれを手放す決断をしたなと思います。
でも、あの時の自分が、とても大好きです。
自分で言うのもなんですが……
かっこよかったです(笑)

次回のブログでは、サロン開業に至るまでのストーリーをお話します。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。




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